SASAKI HIROKO FOUNDATION 一般財団法人 佐々木宏子財団

佐々木宏子略歴

1944
世田谷生まれ。
1949
5才から画塾に通う。
1951
マティス展、ピカソ展を6 才の時見て、画家になる決心をする。
1957
女子美術大学付属中学校に入学。
1965
女子美術大学洋画科 柳宗理、福沢一郎に師事、それぞれに精神性、コンセプトの重要さを学ぶ。フォンタナの「空間概念」に触発されて「青のあいだ」の探求に向う。
1966
奥村土牛、福田平八郎の作品に触れ、また能、禅庭、備前陶器等に興味深く接した。
1967
安宅賞受賞。女子美大卒後は共通絵画研究室助手として残り、12 才から2009年教授を退官するまで53 年間女子美に在籍し制作を続けた。
1969
ヨーロッパ美術研修旅行,ニューデリー、テヘラン、イタリア縦断、スペイン縦断、ロンドン、フランス縦断、アムステルダム。アルタミラ洞窟画、バウハウス展、マティス礼拝堂、マーグ美術館。
1972
尊敬する脇田和の批評を受ける、「貴方の絵は完成しています」と賞賛激励される。以降97 才で亡くなる迄親交を深める。「青、玄」は〈青のあいだ〉の記念碑的作品。
1974
「ゆれうごく青」は、宗達の「風神雷神図」を独自に解釈し大胆に再構成、こうした試みを通して模索を続けるうち、佐々木は、中国中世の画家、牧谿(もっけい)の作品に通じる簡潔さの美を発見し、佐々木の独自な造形について後に永井一正や脇田和は「象徴的な抽象」と評し、さらに脇田は「 油彩の境を脱した」と結論つけた。
1976
7、8 年あたためていたアイデアを実現,科学実験用器具製作工場でガラスオブジェを制作、西武アトリエヌーボーでガラスオブジェ2人展を開く。当時の日本では陶器のオブジェはあったが、ガラスは器物か装飾品に限られていたので、 岩田藤七が会場に駆けつける。以降ガラス立体オブジェ作家が現れる。
1977
初個展をミキモトホールで開催、〈青のあいだ〉の27 点の大作と同時に「青の精神」の小論文でー無意識的な自然と意識的なものーを表明(カタログに掲載)。永井一正、柳宗理、堀内正和、福沢一郎が賞賛、個展の度に訪れる様になる。公募団体と南画廊他とが対立した日本の画壇の特殊事情に投げ掛けをしなければならなかった。「南画廊で発表する水準以上の絵であるが、しばし待てと云いたい」と云った南画廊の志水楠男が「大成功」と祝す。「芸術新潮」新人で取り上げる。
1980
脇田和のすすめでミキモトホールで第二回個展〈ゆっくりと自由な変遷〉を開催。Pierre Boulezに触発された作品群を発表。
1983
公募団体を大沢昌助と共に退会。ギャラリーさんようで個展、会場に訪れた福沢一郎は「斜に構えているのはあるが、貴方の絵は真正面から取り組んでるのが良い」と評し。東京画廊の山本孝は「琳派の宗達の様なパイオニアを感じます」と評した。その後の個展の会場は全て大沢昌助の力添えで実現されてきた。
1984
グリーンコレクションズで石版画個展。
1986,
1989,
1992
銀座アートセンターで個展「Space of Blue」のタブローとテキスタル、20 年来憧れていた20 世紀前半西ドイツのFranz Kohlによって発明された偶然性を取り込んだ機械染技法のマーブルプリントを制作発表。
1993
「 たぬき展」平面と立体、大沢昌助を誘い90才を超える大沢昌助は木のオブジェを、佐々木宏子はガラスオブジェ、淀井彩子は初めての立体。
1994
現代美術の鎌倉画廊企画で個展、世田谷美術展招待作家で以降毎年出品。 1996、1999 鎌倉画廊個展。青森テレビ[佐々木宏子の青の世界]番組放映。
1997
中国シルクロード取材旅行。
1998
ペルー、ボリビア取材旅行。永平寺御直末龍献寺で得度、僧名青元。
1999
[ SASAKI HIROKO]作品集が美術出版社から刊行。 「 ガッシュと陶」個展アスクエア神田ギャラリー。 青森テレビ30周年記念佐々木宏子展
2000
-01
奥沢アトリエ+屋上菜園、打ち放しコンクリート基本設計を息子理趣と共に行う。
2002
国際芸術センター青森、個展「青のあいだ」1967-2002のタブローと2m×1mのアクワチント銅版画を制作発表。 会場での佐々木宏子×関根伸夫トーク「内なる色,内なる形」が『美術手帖』美術出版社に掲載される。
2003
「 基本と精神」を重視した先端的美術教育の活性化と美術界の現代美術の閉塞感に対して美大から発信して行くことを念頭に構想し内容と授業担当者の人選を全て一人で行い。日本の美術大学における最も理想的な現代造形教育を提示した。
○芸術上の先端的教育を実践する為の骨子とカリキュラムを作成し、美術界の第一線で活躍中の脇田愛二郎客員教授、戸村浩非常勤講師、吉江麗子特別講師、宮島達男特別講師の賛同を得てスタートさせる。
○デザインとアート、日本画と洋画、平面と立体の枠をはずす、またデジタルとアナログ表現(150cm 大型hpプリンターによるインスタレーションと活版印刷)、素材とメディアの多様な表現やジャンルに捕われない作品制作の指導を行う。「現代造形表現」「現代美術史」「芸術と科学」を授業科目に開設。
○「 現代美術と現代音楽の共通性」を作り手側からの視点で画集とCDで解説し知らせる。(約20 年以上女子美大アトリエで続けているレクチャー)
○活躍中の女子美卒の若手現代美術家が教育現場での体験を積むことで、現代美術の指導者となるように、その育成に力を注いだ。
○『美術手帖』(2003年11月号美術出版社発行)のEDUCATIONHEADで「美術と社会の距離を縮める挑戦、一般社会と美大との距離を縮め、延いては、閉塞化する日本の美術界、現代美術をめぐる社会環境を打破する、貴重な一歩になるかもしれない。」として取材される。
○女子美学生と学外一般を対象に一流アーティストを招き。特別講演会を企画主催する。(新聞雑誌等に告知、取材される)
①2001年 永井一正 「デザインライフ」
②2002年 吉江麗子と戸村浩「どうなることか予想のつかない危険なコラボレーション」
③2002年 脇田愛二郎 「オリジナルな世界」
④2003年 カスパー シュワーベ 「ポリトピイアパフォーマンス~バックミンスターフラーの4 次元の世界へのオマージュ~」
⑤2003年 宮島達男 「特別公開講評会」
⑥2004年 関根伸夫 「環境と美術家」 ポスターデザイン浅葉克己
⑦2005年 高橋秀 「今の日本と現代美術」
⑧2005年 安斎重男 「現代アート 追っかけ35 年」カメラとともに」
⑨2006年 永井一正 「わたしのデザインライフ」
⑩2006年「虹のAY-O 靉嘔」
女子美術大学に現代造形専修を立ち上げ設立。4 年間、実施責任担当者となる。 教育方法の実践例の年月日平成15年4月~平成19 年3月。
2004
〈青のあいだ〉─無意識的な自然と意識的なもの─の海外での展開を目指し、意欲的な活動を開始する。 PAC(Padiglione d'Art Contemporanea Milano)に作品集『 SASAKI HIROKO』が所蔵される。イタリアの建築家 Angelo Manglarottiから「貴女の御活動に何か関わりがあることを見つけ た曉には、連絡いたします。」とコメントが送られた。 〈青のあいだ〉大作約300点に作品数およぶ。
2005
世田谷美術館区民ギャラリーで「佐々木宏子展〈青のあいだ〉」(佐々木宏子展実行委員会主催)が開催、同時にシンポジウム「日本現代美術のオリジナリテイーは海外で正当に評価されているか」パネラー永井一正、佐々木宏子、木島俊介。(記録集発行) ルツェルン音楽祭に招待され、現代音楽の巨匠 Pierre Boulez と「青色の良く見える明るい部屋に行きましょう」とブーレーズに促されミーティング を行う。 Boulezは〈青のあいだ〉を「Space」と理解。またBoulezが「意志と偶然」を音楽で表現して来たのにたいし、「無意識的な自然と意 識的なもの」を〈青のあいだ〉いう美術で同じ構造を探求してきたことを伝えると、Boulezは「Same!」と賛同の意を表した。 Kunsthaus Zurichに作品集『SASAKI HIROKO』が所蔵される。同館長より「貴方の印象的な仕事について学ぶことができうれしかった。貴方のartisicな業績についてお祝いのことばを述べるとともに貴方の資料を多くの研究者が訪れるKunsthaus Bibliothekに所蔵する」という主旨のコメントが送られる。
2006
ATV 青森テレビ制作世界に発信 「日本の現代美術佐々木宏子〈青のあいだ〉」30 分テレビ番組、1月4日OA。永井一正氏、関根伸夫氏のコメント他「意志と偶然」のPierre Boulezとの写真も収録された、「自然と人為」テーマであると共感する宮島達男氏が登場。 関根伸夫・佐々木宏子パブリックアート展で初めてパブリックアートに挑戦する。Hiroko+Rishuで理趣の建築設計に外壁プランを発表。
2007
英語版DVDビデオ SASAKI HIROKO 〈青のあいだ〉UNCONCIOUS NATURE AND CONSCIOUS OBJECT 48 分ATV青森テレビ制作プロデュース。 『 SASAKI HIROKO』作品集の年譜英語版を美術出版社から発行。 Berlin国立美術館の博士から「興味深いDVD“ Unconscious Nature and Conscious Object” と経歴の冊子を送ってくださり、有難うございました。ともに大変面白いと判断し、私どもの蔵書に加えました。あなたの今後の計画についての更なる情報をお寄せいただければ嬉しいです。」 Peggy Guggenheim 館長より「お手紙と美しい作品集を有難うございました。あなたのお手紙には非常に心惹かれました。芸術と視覚的発見のための、あなたのこの数十年間に及ぶ努力に敬意を表します。実りの多い研究と創造性に満ちた今後更なる40 年間をお祈りいたします。」 Boulezとルツェルン音楽祭で再会。 「 禅の会」を2010年2月迄に第8回を奥沢アトリエで開催した。現代美術の最前線で活躍する美術関係者に声をかけ、また報告CDを作成して送った。禅の講話を来馬正行、現代美術と禅について佐々木宏子が語る。
2010
一般財団法人佐々木宏子財団4月1日発足 [現代美術と禅]佐々木宏子の著作単行本を美術出版社から発行。 現代美術の巨匠を今迄、評論されなかった禅の視点から佐々木宏子が語り。禅を禅僧来馬正行が解説。デザイン永井一正による。現代美術と禅のコラボレーションとゆう画期的な内容に取り組む。 最近作150 号2 枚組、人と画面のスケールを重視して制作した10点未発表作品を中心とした佐々木宏子「青のあいだ」─無意識的な自然と意識的なもの─世田谷美術館、青森県立美術館、兵庫県立美術館の3カ所で展覧会
関連事業:トーク兵庫県美:「佐々木宏子の作品を語る」出原均 兵庫県美学芸員、尾崎眞人 京都市美学芸課長、松永康 元埼玉近美学芸員、「現代美術を考える」佐々木宏子、「現代美術と現代音楽の共通性」佐々木宏子
青森県美:「佐々木宏子の作品を語る」工藤健志 青森県美学芸課長 松永康 、現代美術を語る」浜田剛爾 国際芸術センター青森館長 佐々木宏子
世田谷美:「佐々木宏子の作品を語る」高橋直裕 世田谷美 学芸員、光田由里 松濤美 学芸員 松永康、「佐々木宏子芸術<青のあいだ>」楠見清元美術手帖編集長
「無意識的な自然と意識的なもの」建畠晢 国立国際美館長 岡部あおみ 美術評論家 楠見清
レクチャー:世田谷美 講堂「現代美術と現代音楽の共通性」佐々木宏子
ビデオ上映:世田谷美 講堂「青のあいだUnconscious Nature and Conscious Object
2010
ピエール・ブーレーズと3度目の再会、活動報告の資料を手渡す。現代美術と禅の本に対し「展覧会に日本には行けないが、この本が私にとっての旅です。」
2011
3月-5月フィレンツェに滞在。ミケランジェロが制作した地、ピエトラサンタでは芸術の価値を決めるのは大理石職人だと云うが、持参したガラスオブジェ作品の写真を見て、その中でも一番の腕の良い職人が引き受け大理石彫刻作品を制作する。フラ・アンジェリコ作品とル・コルビジェ作品を巡るほか各都市の現代美術館を訪れる。
2012
2012年3月-2013年3月、OKUSAWA CONTEMPORARY ART AND DESIGN DOCUMENTSを監修する、”現代美術の啓蒙を目的に健康的で深い精神のコンテンポラリー・アート、建築、デザインを軽やかに提示”、OKUSAWA DOCUMENNTSから発信する。5回の展示に自らも参加。第2回展[SCULPTURE]大理石彫刻、ガラスオブジェ、第3回展[ESPRESSIONE NUOVA]ガラスオブジェ、第6回展 [INDUSTRIAL DESIGN]テキスタイル・インダストリアル・マーブルプリント、第8回展[BOOK DESIGN]SASAKI HIROKO作品集、カタログ、現代美術と禅。 第8回からユーストリーム、ユーチューブに配信、Yahooニュース等でも取り上げられる。
2013
2013年2月、第10回展[UNCONSCIOUS NATURE AND CONSCIOUS OBJECT] 佐々木宏子。 12月、OKUSAWA CONTEMPORARY ART AND DOCUMENTS -芸術・デザイン・科学・コンストラクション- デジタルブック:WEBサイト(www.okusawa-documents.com)及びBCCKSから無料配信
2014
青のあいだ2011-2014佐々木宏子 巡回展 世田谷美術館(主催佐々木宏子展実行委員会 特別協力一般財団法人佐々木宏子財団 後援 世田谷教育委員会京都文化博物館(後援 京都府教育委員会 京都市教育委員会)関連事業:ギャラリートーク「現代音楽との出会い」佐々木宏子、「絵の具の青の成分」岩崎友敬(株)クサカベ技術開発主任、「青と抽象表現」佐々木宏子、「空間概念と青のあいだ」佐々木宏子「もう一つの別の禅の話」赤田祐一ライター編集者、楠見清元美術手帖編集長、「現代絵画の精神」篠原資明京都大学教授 楠見清OKUSAWA CONTEMPORARY ART DESGIN DOCUMENTS ポスター展同時開催世田谷美術館佐々木宏子展会場内、ギャラリー三条祇園

「青函考路」(青函文化経済研究所同人情報誌季刊) の表紙絵、裏表紙文をを担当。 創刊号Vol.1 表紙絵「テキスタイル−1」文「青のあいだ」、好評とのことでVol.11まで続いている。
2015
「青函考路」表紙絵、裏表紙文
Vol.2 表紙絵「青・玄」文<青・玄>—<青のあいだ> の記念碑的作品Vol.3 表紙絵「青のあいだ2009-ⅠR」文「青と抽象表現」 Vol.4表紙絵「青のあいだ」「発光体として存在する、また光があることで現れ存在をする」 Vol.5表紙絵「ゆれうごく青」文「ゆれうごく青」—「青のあいだ」・作品タイトル
2016
佐々木宏子 青のあいだ ガラスオブジェ・タブロー 代官山ヒルサイドフォーラム(主催佐々木宏子展実行委員会)  後援 渋谷区教育委員会 認定 公益社団法人企業メセナ協議会 協力(株)クサカベ絵具(株)山田写真製版所 協賛ATV青森テレビ、(株)クサカベ絵具、青函文化経済研究所、(株)山田写真製版所、泰斗舍、青森三菱ふそう自動車販売(株)誠文堂新光社 特別協力 一般財団法人佐々木宏子財団 関連事業 佐々木宏子「青のあいだ ガラスオブジェ・タブロー・モノローグ」日伊仏英併記、カラー68 P 誠文堂新光社発行 シンポジウム「芸術・科学・コンストラクション」 第1回「簡潔な作品は簡潔な空間を構築させ簡潔な精神を現出させる」見上寘司(sixinchJAPAN代表)、安宅研太郎(東京芸術大学他講師、建築家)土屋貴哉国立佐賀大学准教授、美術家)、佐藤忠(彫刻家)佐々木宏子(現代美術家)楠見清(首都大学東京准教授、元美術手帖編集長) 第2回「ジャンルを超えて、それぞれの視点から現在(いま)を語る」保坂展人世田谷区長)須磨久善(心臓外科医)石井美加(資生堂経営戦略部)佐々木宏子、楠見清

精密実験器具の理化学ガラス工場に通い無色透明な酸素バーナーによるガラス制作を始める。その頃の日本のガラスと言えば器物か置物、クリスタルガラスの各務鉱三か色吹きガラスの岩田藤七が大家でした。そんな折、柳宗理先生が授業で告知してくれた現代アメリカガラス展を見た佐々木は数年アイディアを温めて、1973年に遠縁の理化学ガラスの町工場に頼み込んで職人の隣でガラスオブジェ制作を始める。研究機関からの複雑な製図を基に精密を極める実験器具作りの職人さんの隣で偶然性を取り入れ、いびつに吹き、職人さんが垂直にたつように足を吹いてコラボでした。1976年にガラスオブジェ2人展を池袋西武アトリエヌーボーで開催、柳宗理は勿論、堤清二社長、多くの彫刻家、アーティストやデザイナーが訪れ、会場に駆けつけた岩田藤七氏はその後1979年に小田急で日本ガラス展を開催し多くのガラス作家を輩出することになりました、今では美大でもガラスを先行出来るようになりました。 ガラスオブジェの繊細な全作品を相応しい槇文彦氏設計の代官山ヒルサイドフォーラムの空間で展示。40 年前のアイディアスケッチで実現できなかった光を入れるのがフィラメントがLEDやELに代わり、水に浮かべた作品など展示。 代官山蔦屋(青のあいだガラスオブジェ・タブロー・モノローグも店頭に並び)が出来たことで、海外や若い人びとがポスターを見て会場を訪れ、初めての作品の体験に感動。

「青函考路」表紙絵、裏表紙文
Vol.6 表紙絵「青のあいだ1973」文[「青のあいだ」の造形思考、無意志式的な自然と意識的なもの Vol.7 表紙絵「ひろやかな青」文「ひろやかな青」 Vol.8表紙絵「しずかな青」文「しずかな青」明暗さも少ない。青の色目の違いもない。流しの勢いもわずか。 地域創り仮想プロジェクト6—座談 美術・芸術と子どもの教育p20-p28 Vol.9 Vol.2表紙絵「青・相So・Blue」文「一生、一つのフォルムに向き合うこと」
2017
「青函考路」表紙絵、裏表紙文
Vol.10表紙絵「青のあいだⅡSpace of BlueⅡ」文「青のあいだ」コバルトの物質を超えたリアリティ Vol.11 表紙絵「青・双」文「造形的な強度の絵への到達過程マニアルもないリアル

SASAKI HIROKO Chronology

1944
Born in Tokyo’s Setagaya Ward.
1949
From the age of five, she attended a local art school.
1951
She saw a Matisse exhibition at six years old, and a Picasso exhibition. She decided to become an artist.
1957
Entered the middle school affiliated with Joshibi University of Art and Design.
1965
The department of Oil Painting at Joshibi University of Art and Design. She was influenced to consider the importance of the spiritual nature of art and the importance of concepts and sprit in art by Sori Yanagi. The encounter with Fontana’s works and his“ Concetto Spaziale” switched off her sense of necessity, and she earnestly strived to create works in an exploration of“ 青のあいだ(Ao no Aida) ”.
1966
She was impressed with paintings by Togyu Okumura and Heihachiro Fukuda, Noh( 能), Zen gardens( 禅庭) and Bizen ware(備前陶器).
1967
Received the Ataka Prize. After graduating, she stayed at Joshibi University of Art and Design as a teaching assistant. From the age of twelve as a student to 2010 when she retired from the university as a professor, she had been a member of Joshibi for fifty-three years while creating her own works.
1969
Participated on an art research field study with the university, traveling to India, Iran, Italy, Spain, France, England, and Holland. She was moved by the Alta Mira cave paintings, a Bauhaus Exhibition, the Church of Matisse in Vence and the Foundation Maeght Museum.
1972
She received praise from Kazu Wakita whom she respected“. Your work is complete,” he said and since then till he died at the age of 97, Sasaki had been on friendly terms with him. “Blue・Gen( 青・玄)” is her monumental work of “ 青のあいだ”.
1974
Her work“ Moving Blue( ゆれうごく青)” is a piece where she boldly reconstructed and interpreted“ Fujinraijinzu( Wind God and Thunder God)( 風神雷神図)” by Tawaraya Sotatsu( 俵屋宗達). While continuing to experiment and explore, she discovered the simplistic beauty that pervades the works of Mu Qi( 牧谿), a Chinese painter during the middle ages. Considering the independent form that she attained, Kazumasa Nagai and Kazu Wakita have both considered them to be“ symbolic abstract”. Wakita has also stated that she has“ gone beyond the boundaries of oil painting.”
1976
She followed through with an idea that she had been mulling over seven or eight years. She challenged herself to make glass objects at a glass factory that custom-makes precision instruments for use in chemical experiments. She held the exhibition“ Glass Objects by Two” at Seibu Atelier Nouveau. Iwata attended.
1977
Consisting of twenty-seven large works, she held her first solo exhibition entitled“ 青のあいだ” in Mikimoto Hall. She also published a short thesis entitled “ 青の精神(The Spirit of Blue)” to express“ Unconscious Nature and Conscious Object.” Kazumasa Nagai, Sori Yanagi, Masakazu Horiuchi, and Ichiro Fukuzawa praised her works. Since then, they visited all of her solo exhibitions. At the time, in the midst of confrontation between public organizations, Minami Gallery and other painter circles, special circumstances of Japan’s art circles needed to have some kind of measures. Kusuo Shimizu of Minami Art Gallery visited her exhibition and told her that those artworks are higher than the standard level, but would be better to wait. He congratulated her success, and featured her as the new face in Geijutsu Shincho.
1980
Her second exhibition at Mikimoto Hall at the suggestion of Kazu Wakita. She exhibited large works inspired by Pierre Boulez.
1983
Following Shosuke Osawa’s example, she withdrew from the public organization. A solo exhibition at Gallery Sanyo. Ichiro Fukuzawa who visited encouraged her and said,“ We see many works with cynical approaches but your art tackles subjects head-on.” Takashi Yamamoto of Tokyo Gallery also visited and commented,“ Your work is filled with the innovative mind just like Sotatsu(宗達) in Rinpa(琳派).” Osawa introduced her to galleries and supported all her exhibitions after that.
1984
A solo exhibition of lithographs at Green Collections.
1986,
89,
92
Solo exhibitions of “青のあいだ” at Ginza Art Center, which consisted of tableaus, textile pieces and Marble print industry of Germany( Franz Kohl) she had longed over for twenty years.
1993
The Tanuki(raccoon dog) Exhibition for both two and three dimensional artworks with Shosuke Osawa and another.
1994
A solo exhibition at the contemporary art gallery, Kamakura Gallery. Invited to show her work at the Setagaya Museum Exhibition, she has submitted her works to it every year.
1996,
99
Solo exhibitions at Kamakura Galley of contemporary art.
1997
In China, she traveled along the Silk Road, gathering new materials and ideas.
1998
Traveled through Peru and Bolivia. She entered the Buddhist priesthood at Ryogonji temple and took the name Seigen(青元).
1999
Bijutsu Shuppan published a book of her oil tableaus titled SASAKI HIROKO. An individual exhibition held at A-Square Kanda Gallery was an installation exhibition of gauche paper and ceramic objects. To celebrate their thirtieth anniversary, Aomori Television Broadcasting sponsored her solo exhibition, and aired the program “Hiroko Sasaki - World of Blue”.
2000
She engaged in basic designing of her studio in Okusawa with his son, Rishu.
2002
Her solo exhibition“ 青のあいだ” (tableaus 1967-2002 and newlyprinted aquatints of size 2m×1m) at the Aomori Contemporary Art Centre, and the talk with Nobuo Sekine “Internal Color: Internal Shape” at the Centre, also appeared in the magazine Bijutsu Techo.
2003
Aiming at the high education of art armed with spirit and the fundamentals, she received the approval of Aijiro Wakita, Hiroshi Tomura, Reiko Yoshie and Tatsuo Miyajima, and established the Contemporary Art and Design Course at Joshibi University of Art and Design. Taking away the boundaries between design and art, Japanese and Western style painting, or two and three dimensional, she advised students to work in various ways of expression, such as by digital means (installation by hp printer of size 150cm) or analogue means (letterpress printing), materials and the media. The subjects of“ Representation of contemporary art and design” “History of modern art”“ Art and science”“ Contemporary art and contemporary music” were set in the curriculum She carried out her project for next four years as a chief-professor. In the column Education Head in the magazine Bijutsu Techo, she also wrote of an article titled“ Challenging the Gap between Art and Society.”
2004
Started working ambitiously with the aim of holding her exhibition “ 青のあいだ-Unconscious Nature and Conscious Object” overseas. PAC(The Padiglione d’Art Contemporanea Milano) added a book of her works“ SASAKI HIROKO” for its collection. An Italian architect, Angelo Mangiarotti, sent her a message,“ I will get in touch with you, when I find something relative to your activities.” She has created 300 large artworks titled“ 青のあいだ”.
2005
An exhibition“ 青のあいだ” was organized by Hiroko Sasaki Exhibition Executive Committee and held in the Citizen’s Gallery at the Setagaya Art Museum. This exhibition also had a connection with a panel she joined with Kazumasa Nagai and Shunsuke Kijima for a symposium titled “Is the Originality of Japanese Contemporary Art Being Properly Received Overseas?”( Records were published) Invited to the Luzern Music Festival, Sasaki had a meeting with Pierre Boulez, a great master of contemporary music, at his suggestion to“ talk in a bright room where we can see bluewell.” He understood her“ 青のあいだ”and its relation to space. In the same way that Boulez had materialized the musical expression of“ consciousness and contingency( par volonte et par hazard)”, Sasaki had endeavored to express the same concept on “Unconscious Nature and Conscious Object” in “青のあいだ”. Boulez agreed that their concepts were the same. Kunsthaus Zurich added a book of her works“ SASAKI HIROKO” to its addition. Director of the museum said,“ My curators and myself were pleased to learn about your impressive work. I take the opportunity to congratulate you on your artistic achievements. I am happy that you allow me to include the material in our Kunsthaus Bibliothe, the museum’ s library, which is visited by many scholars and readers from Zurich and abroad.”
2006
“ Transmission to the World : Japanese Contemporary Art─Hiroko Sasaki─ 青のあいだ ”, 30min. TV program, was aired on Jul. 4th. In addition to commentary by Kazumasa Nagai and Nobuo Sekine and a picture of Hiroko with Pierre Boulez( par volonte et par hazard) and Tatsuo Miyajima( Natural and Man-made). She first showed her plan of outer walls for the building designed by Rish, in“ Public Art Exhibitio─Nobuo Sekine・Hiroko Sasaki”.
2007
Aomori Television Broadcasting produced a DVD 48min” SASAKI HIROKO〈 青のあいだ〉 UNCONCIOUS NATURE AND CONCIOUS OBJECT” with English subtitles, which includes comments by Kazumasa Nagai, Nobuo Sekine and Tatsuo Miyajima, and a picture of Hiroko Sasaki with Pierre Boulez. She began to sponsor the meeting“ Study of Contemporary Art and Zen”, where a priest Kuruma Shogyo lectured Zen and Sasaki talked about contemporary art. The meeting was held eight times until February 2010. CD for reporting the meeting was published every time. Sasaki meet Boulez again in Luzern Festival.
2010
SASAKI HIROKO FOUNDATION was established on April 1st. “Contemporary Art and Zen” written by Sasaki was published by Bijutsu Shuppan-sha Ltd, in which Kuruma Zen-priest explained“ Eihei Shoso Gakudo Yojinshu” by Dogen, and of which Kazumasa Nagai designed the cover. In her solo exhibition“ 青のあいだ-Unconscious Nature and Conscious Object-” at Setagaya Art Museum, Aomori Museum of Art and Hyogo Prefectural Museum of Art, Sasaki showed her recent ten pairs of size 150 oil tableaus, in which she placed great importance on large scale feeling.
2010
She met Boulez for the third time and informed him of her activities. He said on her book, Contemporary Art and Zen, “I cannot go to Japan to see your exhibition, but reading this book is a journey for me.”
2011
Mar.-Apr. She stayed in Firenze. In Pietrasanta where Michelangelo produced his works, they say that the value of art depends on the ability of a marble artisan. One of the best artisans there saw the photo of her glass object and took a job to make it into a marble sculpture. She visited to see the works of Fra Angelico and Le Corbusier, and other contemporary art museums.
2012
2012 Mar.-2013 Mar. She supervised the ten exhibitions held at OKUSAWA CONTEMPORARY ART AND DESIGN DOCUMENTS (OKUSAWA DOCUMENTS), which showed lightly the contemporary art, architecture and design of healthy and deep mind in order to enlighten people about contemporary art. She herself participated in six exhibitions, Vol,2[SCULPTURE]: marble sculptures, glass objects Vol,3[ESPRESSIONE NUOVA] : glass objects Vol,6[INDUSTRIAL DESIGN] : textile (industrial marble print) Vol,7[ARCHITECTURE] : model, photo. Vol,8[BOOK DESIGN]:SASAKI HIROKO, catalogue, Contemporary Art and Zen . The lectures were sent out on Ustream, YouTube and Yahoo news from the eighth exhibition.
2013
OKUSAWA DOCUMENTS Vol,10 exhibition [UNCONSCIOUS NATURE AND CONSCIOUS OBJECT] by Sasaki Hiroko The digital book by [OKUSAWA DOCUMENTS] is now preparing to be published.
2014
[青のあいだ-Unconscious Nature and Conscious Object] SETAGAYA ART MUSEUM (Tokyo), THE MUSEUM OF KYOTO.
2016
SASAKI HIROKO 青のあいだAo no aida Glass Object・Tableau Daikannyama Hillside Forum Tokyo 2016.5.31-6.12 青のあいだ-DIGlass object 22 works ,Different:material・technology・expression[1970 -Lithograph・aquatint, 1973Glass Objects Atlaboratory glass factory,1992 Marble print industryof Germany, 1996 Gouache and Ceranicst, 1999To architecutural design-studio+rooftop vegetable garden, 2012 Marble Sculpture,] ・Documentary1Exhition, DocumentaryⅡVisited by Mayor HOSAKA Nobuto of Setagaya-ku and Ambassador Freddy SVANE ofDenmark+ NHK WORLD TOKYO EYE   2020 [The Embassy Take on Tokyo, part 9:Denmark]www3.nhk.or.jp  DocumentaryⅢ Symposium[21st Century Art・Science・Construction] ・SASAKI HIROKO[ Unconscious Nature and Conscious Object- Glass Object・Tabeau・Monologue] ISBN 978-4-416-91637-7 2016.5.31 Published2016 SASAKI HIROKO 青のあいだAo no aida Glass Object・Tableau Daikannyama Hillside Forum Tokyo 2016.5.31-6.12 青のあいだ-DIGlass object 22 works ,Different:material・technology・expression[1970 -Lithograph・aquatint, 1973Glass Objects Atlaboratory glass factory,1992 Marble print industryof Germany, 1996 Gouache and Ceranicst, 1999To architecutural design-studio+rooftop vegetable garden, 2012 Marble Sculpture,] ・Documentary1Exhition, DocumentaryⅡVisited by Mayor HOSAKA Nobuto of Setagaya-ku and Ambassador Freddy SVANE ofDenmark+ NHK WORLD TOKYO EYE   2020 [The Embassy Take on Tokyo, part 9:Denmark]www3.nhk.or.jp  DocumentaryⅢ Symposium[21st Century Art・Science・Construction] ・SASAKI HIROKO[ Unconscious Nature and Conscious Object- Glass Object・Tabeau・Monologue] ISBN 978-4-416-91637-7 2016.5.31 Published